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2014-07-04

中国大連の旅①

中国の旅の3回目は、
大連。

深州航空の早朝フライトで広州から大連へ。
所要時間は4時間程。
北に向かっているにしても
4時間とは・・・中国はやはり広いのである。


中国の旅は香港から始まったのだけど、
4月とはいえ、結構寒く・・・
じゃ、大連はどんだけ寒い!?
この日の大連の気温は、日中でも14℃程。
夜には一桁台に。
厚めの長袖の上着にストールを巻いても寒かった・・・w

持っていく服を間違えた(笑) 

調べてみると、緯度は仙台と同じ位置。
4月・・・そりゃ、寒いはず。


今後のブログには
香港・上海の旅を書き綴る予定ですが、
結果を言ってしまえば、
この大連が一番気に入りまして・・・。
都会のようで都会じゃない・・・?

新しいものと、古いものが混合している風景と匂いみたいなもの・・・。
他民族が交じり合った空気感や匂いみたいなもの・・・。


 大連とうい都市を軽く説明・・・。

中国東北地方、遼寧半島南端の先端に位置する湾岸都市で、
かつての大連は、青泥と呼ばれる小さな漁村でした。
良い漁港の為に、ロシアと日本で利権を争うほどの場所だったようです。



1898年ロシアが清から租借。

1904年に勃発したに日露戦争により、
日本軍が無血入城を果たします。

その後、1905年に日本軍の占領下に置かれ、
満州進出の拠点地として発展。関東州となる。

インフラを整備させ、その結果ロシア租借時代までの間に
道路の舗装、レンガなど不燃建築物が立ち並ぶ町並みが出来上がりました。
今も尚、日本統治下時代に造られた建物を含む
ゴシック様式、ルネサンス様式を基調とした欧風建築が数多く残されています。
それらは、現在も大連の代表的景観として保護されています。

そして、第二次世界大戦末期の1945年
ロシア(ソ連)は大連を占拠。
戦争終結後も引き続き管理下に置かれます。

1951年中国に返還。
1982年に市名を大連に改称。

日本語を流暢に話す中国人が、大連には沢山います。
他の省から比べると、数もレベルも違うそうです。
中国では唯一、
反日では無い都市と言われています・・・。

日本人にとって、中国で最も住み易い都市ということでしょうか・・・。

 

私は、大連に降り立った時、
なんとも言えぬ田舎臭さ、懐かしさみたいな感覚をおぼえました。
街に入ると、もっと不思議な気分に陥る・・・。

見たことがある景色?
見たことがない景色?

ノスタルジーとでも言うんでしょうかね・・・。




違うところに目を向けると、
ここは朝鮮か??
戦後の日本か???
(いずれも体験していませんが・・・)
というような~。

確かに朝鮮はすぐそこです。朝鮮族も沢山住んでいます。
日本が占領した時代があります。

ウイグル族、ムスリム、その他・・・。
他民族が沢山大連にはいるのです。

食文化にしても、
他の地域とは、かなり異なっています。
ミックスしているのですね・・・。





 歴史の説明でも書いてあるように
戦争の名残の古い建物。
歴史的価値がある建物が多く残っている大連。

かと思えば
どデカいショッピングモールが沢山。

なんとも・・アンバランスのようで、
なんとも・・その違和感が面白い。
なんとも不思議で、いい感じなのだ。

私は、チェンマイに長く居るからだろうか・・・
大連の空気感みたいなもの。
気持ちが落ち着くような場所でした。
(ここは中国。。。PM2.5の問題は取り合えず置いときますw)


歴史の話を少し・・・
と、長くなってしまいましたので、今日はこの辺で。
内容があまり無い・・・(笑)

次回の大連は、食や芸術について書く予定です~。


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